2/12 平昌 選手村 No.4
- 2018/05/06
- 10:13
Your name
「だってしょうがないじゃん。俺彼女作れないんだなら。じゃあそういう欲求どうすんの」
まるで私が悪いかのように言う。意味がわからない、理不尽だ。私は必死に首を振った。
「そそそんな事言われてもっ! ダメだってば!」
「嫌なの?」
「いや、嫌というか……」
ーー嫌、なのか? 私は。歩夢くんと、キスするの。
この前キスをされた時のことを思い出す。いきなりで訳が分からなくて、混乱してしまったけれど。
嫌悪感や後悔なんかはーー別になかった。
嫌ーーではない。
「ん? 嫌?」
「嫌……ではない、です……」
言葉の最後の方は消え入りそうな小声になりながらも、私はそう言った。ーーすると。
「なら、いいじゃん」
ーーあれ、もしかしていいのか? お互い嫌じゃないし、歩夢くんは彼女を作りたくても作れない事情があるし。
別に誰も困ってないし、誰にも迷惑はかけてないよな。
「ーーいいよね」
歩夢くんが再び私の頬に手を添え、甘美とも言える輝きを瞳に宿して、私を見つめながらそう言った。私は金縛りにあったかのような感覚になり、抵抗する気をへし折られる。
あれ……。いいのか? 別に……。
そして歩夢くんの形のよい唇が近づいてくるのが見えた。私はその光景をどこか人事のように眺める。
ーーなんか、もういいか。別に……。
と、思いかけたのだけれど。
「やっぱだめー!」
唇が触れるか触れないかといったタイミングで、私の心の奥底に残っていた倫理観によって、私は反射的に抵抗した。私は両手で歩夢くんの胸を押し、彼は少しつんのめった。
キスを回避できたことに、なんだかんだ言ってほっとする私。ーーしかし。
「は? ここでダメとか、もう無理だから」
歩夢くんは私の後頭部と顎を手で掴むと、私が何かを行動する隙を与えずに、自分の方へ引き寄せた。
そして、そのままーー口付けた。
「んっ……!?」
びっくりして離れようとしたけれど、もちろんそんなことを歩夢くんは許してくれるはずもなく。
「んぅ……ぅ」
私が逃げようとすればするほど、彼は私の唇をどんどん侵食するように、深く口付けてくる。
どのくらいの時間、唇を重ねていたのだろう。私の内側が火傷しそうなくらい熱くなったところで歩夢くんはやっと私を解放してくれた。
「ーーごちそうさま」
息苦しやら衝撃やらで、息を荒らげながらうなだれる私の頭を撫でで、歩夢くんは楽しそうに言う。
「ーーな、なん、なんで……も、もう歩夢く……」
「ん、何言ってるかわかんない」
「なな、な、な、なんで、こんな……」
呂律がうまく回らない。顔を上げると、歩夢くんは勝ち誇ったように、どこか意地悪な笑みを私に向けていた。
そしてそんな私の頭を抱え、耳元でこう囁く。
「なんなら、この先もする?」
ーーそう、言われて。
さすがに私のキャパシティを超えてしまったようで、私は彼を振り払い、思わず立ち上がって、こう叫んだ。
「するかーーー!!! 馬鹿ーーー!」
そして顔を赤くしながらも、私は目に渾身の力を込めて歩夢くんを睨みつける。
すると「やっべ」と歩夢くんは小声で言い、立ち上がって逃げるように小走りで、部屋のドア付近まで移動した。
「冗談だって。そんな怒んなくても」
そして私の方を向いて、やれやれ、とでも言いたげに苦笑を浮かべて言う。
「はぁ!? だ、だって! あ、あ、あんなキスしといて! もう! 馬鹿!」
「あんなってどんな?」
「……! うるさいうるさーい!! もう絶対しないから!」
「ふーん、いいよ別に。不意打ちでするから」
「も、もう出ていけーー!!」
「はーい」
私の絶叫に、歩夢くんは間延びした声で返事をし、どこか楽しげに「ばいばーい」と手を振って、部屋から出ていってしまった。
凄まじく精神力を削られた私は、その場にへたりこむ。
ーーな、なんなんだー! 意味わかんない! わけわかんない! あの人何を考えてるの!
1人激昂する私。本当に何がしたいのだ、歩夢くんは。あんなに訳の分からない人は初めてだ。
だけど、やっぱり。
嫌じゃないのだ、私は。歩夢くんとキスをしても。嫌どころか、心の隙間が満たされてしまつような、充足感を覚えてしまうような。この気持ちは一体なんなんだろう。
もし、またこんなことをされても、私はきっと歩夢くんを許してしまうのだろう。簡単にそんな光景が目に浮かんでしまう。
そして有り得るわけがないけど、私は想像してしまった。
もし、歩夢くんと私が付き合ったら。恋人という関係に、なったとしたら。
きっと私は写真のことなんて、どうでもよくなってしまうのではないだろうか。歩夢くんがかっこよすぎて、他に何もいらなくなってしまうのではないだろうか。
ーーなんて恐ろしい。恐ろしい人だ、歩夢くんは。
怖すぎて、自分の彼に対する気持ちの正体を突き止めるのを、私はやめた。私は彼の通訳兼マネージャー。それ以上でも、それ以下でもない関係。ーーキスはしたけれど、2回も。
彼は世界一のスノーボーダーだ。今回だってきっと金メダルを取ってしまうだろう。それにあの容姿だ。特定の彼女はいないかもしれないが、女の子の扱いには慣れているに違いない。ーーじゃないと、こんなに簡単に私を手玉に取れるわけなんてない。
私がたまたま彼の近くにいるから。お手軽な位置にいるから、そんなに深く考えずにキスやハグができてしまうのだ。
余計なことは考えてはダメだ。フォトグラファーとして、成長したいのなら。私は自分に言い聞かせるように、そう決意した。
ーーしかしなんだかんだで。
明日はいよいよ、スノーボードハーフパイプ競技の、予選だ。
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