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2/10 平昌 選手村 No.2

 

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私は選手村の自分のベッドにうつ伏せになり、枕に顔を沈めていた。

ハーフパイプの練習が終わり、連日のように選手達よりも一足先に選手村に戻ってきた私。マネージャーの仕事も、眠い目を擦りながらもなんとかやり終えた所だった。

時間的には、まだゆづお兄ちゃんがフィギュアスケートの練習をしているところだ。今から会場に行けば、昨日のように絶好の位置から写真撮影ができるだろう。

だけど、今日はこれ以上動ける気がしなかった。

昨日はあの……例のキスのせいで一睡もできなかったし、食欲もなく頭も混乱していて、精神的にも肉体的にも満身創痍だった。

歩夢くんはというと、今日の練習でも絶好調の滑りを私に見せつけてきた。1440もなんのその。

途中、何度か私に目を合わせては、何か言いたそうな顔をしていたような気がしたけど、結局何も言ってこなかったから、私の気のせいのようだったし。

アスリートだから、メンタルが強靭で気持ちの切り替えもうまいのだろう。よく寝たような顔をしていたし、朝食も普段通り盛り付けていた気がする。

というよりも、昨日のことは彼にとっては大したことでは無かったから、精神的にはなんら影響がなかった……という可能性も無きにしにもあらず。

ーー抱きついてきたり、私をからかって楽しんだり、日常茶飯事だもんなあ、歩夢くんは。その度にいちいち反応する私も私だが。

そういえば、Xゲームの時も。朝起きたら一緒のベッドに入っていたことがあり、事を致したのかどうか恐る恐る聞いた私に「なんなら今からする?」とか聞いてきたっけ。

「……うわああ」

思い出して恥ずかしいやらドキドキするやらで、私は枕に顔を埋めながら身悶え、足をばたつかせた。

本当になんなの、歩夢くんは。意味が全くわからない。

しかも「寂しいからじゃない」ってなんだよ。寂しいとキスするのか? そうなのか? どうなってるんだ、全く。

だけど、驚きはしたけれど……嫌とは思わなかったな。いきなりのキスなんて、普通は嫌悪感を覚えそうなのに。

全然嫌じゃなかったのだ、歩夢くんとは。ーーなんでだろう。

そんな風に私が悶々としていると。

部屋の呼び鈴がなった。ーー誰だろう。まさか歩夢くん……?

私はベッドから勢いよく起き上がり、覗き穴からドアの外を見た。

するとそこにいたのは歩夢くんーーじゃなくて、ゆづお兄ちゃんだった。

「お兄ちゃん? どうしたの?」

ドアを開けて私が尋ねると、お兄ちゃんは上品に、しかし屈託のない笑みを浮かべた。

「昨日の写真、見せてもらいたくて」

「ーーあ。そういえば、見せるって約束だったね」

昨日フィギュアスケート会場で撮影したあと、歩夢くんとあんなことがあったから、すっかり忘失していた。

「ちょっと待っててね。今カメラを……」

「あ、よかったら今から一緒にご飯食べない? 食べながらゆっくり見せてよ」

私がカメラを取りに行こうとすると、お兄ちゃんがそんな誘いをしてきた。

あんまり食欲はないけど、食べられないことはないかな。それにお兄ちゃんとは1度ゆっくり話したかったし。

一瞬歩夢くんの顔が浮かんで、一緒に行けないかなと思ったが、昨日のキスを思い出して、思いとどまる。

いやいや、この状況でなんて話せばいいんだっての。それ以前に、昨日のように今日も夕飯はいらないって言う可能性も高いし。

「うん、行くよお兄ちゃん」

私がそう言うと、お兄ちゃんは笑みをさらに深く刻んだ。

「ありがとう、嬉しいよ。ーーあ、でもさ」

するとお兄ちゃんは、一瞬間を置いてから、こう言った。

「お兄ちゃん、ってのはもうやめてほしいな。には名前で呼んでほしいんだ」

「え……」

思ってもみないことを言われて、虚を突かれる。

「なんで……?」

「いーの。名前で呼んでよ~」

尋ねても、冗談っぽい口調で流され、さらに念を押された。

名前……? そうなるとーー。

「結弦……くん」

少し気恥しくなり、私は小声で言った。するとお兄ちゃん……じゃなかった、結弦くんは大袈裟に口を尖らせた。

「呼び捨てでいいんだけどな~」

「えー……それはちょっと。ほら結弦くんの方が歳上だし……私、ハーフパイプのみんなにも君付だしさあ」

私の言葉を聞くと、結弦くんはこう言った。

「そっかー、じゃあ特別“ 結弦くん”でいいよー」

「癖でお兄ちゃんって呼んだらごめんね」

「えー、そしたら次から“ 結弦”ね」

「……もう! 意地悪しないでよ~」

私がそう言うと、結弦くんは「あは、冗談だよ」と爽やかに言った。そして私は、夕飯を食べる場所まで結弦くんと連れ立って歩いた。

結弦くんとそんな風に会話をしながら歩いているうちに、精神的疲労が少しだけ回復したような気がした。ふとした瞬間に昨日のキスを思い出しては、悶えそうにはなるので、全快というわけにはいかなかったけれど。

だから私は先程ふと思った自分の感情を、無意識のうちに頭の片隅に置き去りにしてしまった。

私の部屋の呼び鈴を押した主が歩夢くんじゃなくて結弦くんだと分かった時に。

ーー少なからず、落胆の気持ちがあったことを。


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泰人

Author:泰人
昔いろいろ夢書いてました。

久しぶりに書いてます。

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