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2/9 平昌 選手村

 

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選手村に戻った頃には、すでに夜になっていた。ーーお腹がすいた。部屋で一息ついたら、食堂へ行って夕食にしよう。

そんなことを考えながら、自分の部屋へと続く廊下を歩いていると。

「あ、歩夢くん!」

ちょうど、歩夢くんが彼の部屋の前にいたので、私は駆け寄った。どこかから戻ってきて、部屋へ入るところのようだった。

歩夢くんは私を一瞥すると、こう言った。

「遅かったね、

「うん、撮影に行ってた」

「羽生くんのとこ?」

「うん」

「……ふーん」

歩夢くんはあまり興味無さそうに言う。ハーフパイプ以外の競技にはあまり関心がないのかな? まあ、オリンピックだし、自分の競技以外のことを考える余裕なんてないのかも。

「あ、そういえばご飯食べた?」

「食べてないけど」

「じゃあ一緒に食べようよ」

私が誘うと、歩夢くんはふっと私から目をそらし、こう言った。

「……ごめん。俺、大会中はあんまり食べないんだよね。だから今日はいらない」

「あ! ごめん」

そういえば、大会中は一日一食の日もあるって言ってたなあ。うっかり誘っちゃって悪かったな。

それにしても歩夢くん、ちょっと元気ないかも。試合前でピリピリしてるのかな。早く部屋で休みたいのかもしれない。

そう思い、私がバイバイ、と言おうとすると。

「羽生くんの写真、上手に撮れた?」

歩夢くんがそう尋ねる。

特等席から撮影した甲斐があり、かなり満足度の高い写真が今日は撮れた。しかも、昔馴染のお兄ちゃんの最高にかっこいい瞬間だから、喜びも一塩だった。

私は歩夢くんがそれに興味を持ってくれたことに、嬉しくなった。誰かとこの思いを共有したかったのだ。

「うん! 今日は撮れた!」

「そうなんだ。よかったじゃん」

「そうなんだよー、ゆづお兄ちゃんが私を撮影しやすい場所まで連れて行ってくれてさ」

「ーーへえ」

「ちょっと見てよー!」

私は歩夢くんに構図のいい写真を見てほしくて、カメラを起動し写真をプレビューし始める。ーーあれ、どの辺だっけ。

私がそんなことをしていると。

「ーー

歩夢くんが私の名を読んだ。低い声で。私はカメラから視線を外し、「ん?」と言いながら顔を上げた。

その時だった。

歩夢くんが私の肩を少し強く掴んで、壁際に押した。私は壁に背をつける形になる。歩くんは私の顔の横の壁に片手を置く。ーーいわゆる壁ドンという体制。

ーーへ?

突然のことにわけがわからず、私は「何?」と言おうとした。ーーが。

「ーー!」

その開きかけた口が、塞がれる。ーー歩夢くんの唇によって。

「……ん…ぅ」

歩夢くんの熱を持った厚めの唇が、私の唇を支配していく。頭の中が真っ白になる。唇から伝わる熱さが、体の内側を火照らせる。

私は悶えながら、反射的に顔を逸らそうと弱々しくも抵抗したが、歩夢くんは私の頬を掴んで、さらに深く唇を重ねてきて、逃さなかった。

私は力が抜けてしまい、抗うことが出来なくなった。

「ん……あ……」

口付けをされている間、時はちゃんと動いていたのだろうか。頭の中がホワイトアウトしていた私に、通常の時間の感覚はなかった。

意識が混濁してきたころ、やっと歩夢くんは、私を解放してくれた。

「あ……」

私は吐息混じりに声を漏らし、廊下にへたり込む。呼吸がおろそかになっていたせいで、私は肩で息をしながら必死に酸素を体内に取り込む。

「なん…で……」

そんな中でも、私は恐る恐る顔を上げ、脆弱な声で彼に問う。

歩夢くんは、笑ってもいなかったし、怒ってもいなかった。無表情と表現してもおかしくないほどの真顔で、私を見下ろしていた。その顔にどんな感情が内包されているのか、私には全くわからない。

ーーそして。

「寂しいからじゃない」

彼は呟くように、投げやりにそれだけ言った。淡々とした声音で、短い言葉だったため、やはり感情は読み取れない。

そして何も言えず座り込む私には構わず、歩夢くんはそのまま自分の部屋へと入ってしまった。


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泰人

Author:泰人
昔いろいろ夢書いてました。

久しぶりに書いてます。

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