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3/21 新潟県村上市 瀬波温泉旅館 No.4

 

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「ーーえ!?」

「…………」

思いがけない富美子さんの言葉に私は驚愕の声を漏らす。歩夢くんは何も言わずに、中居さんが持ってきたばかりの水が入ったグラスを傾けた。

「女の子って……樹里ちゃん?」

「ーー違うよ。樹里とは小学生からの付き合いだし。俺はまだ小さかったから、その時のことは覚えてないなあ。だからその女の子のことは知らない」

私の問いに、私の左隣に座っていた海祝くんが淡々と答える。

「その子が村上からいなくなるだかで、寂しくなった歩夢が連れ去ったのよね〜! ドライな歩夢がそんなことするから私もうびっくりしちゃって。あれが歩夢の初恋かしら?」

「えー! やるじゃん歩夢くん!」

「ーーよく覚えてない。つーかもうその話はいいって」

心底面倒そうに言う歩夢くんだったが、幼い歩夢くんの愛の逃避行を想像すると、たまらなくかわいいので、私はもっと詳しく知りたくなってしまった。

ーーすると。

「ねー、の初恋は? いつ?」

海祝くんが思いもがけない質問をしてきたので、私は虚を突かれる。何故か右隣の歩夢くんがじっと私を見てきた。

「えー……いや……随分前だからなあ」

「ーーまさか、羽生くん?」

歩夢くんが何故か強ばった顔で低い声で尋ねてきたので、私は首をぶんぶんと横に振った。

「いや、違うよ。結弦くんはそういうんじゃなくて、お兄ちゃんだって言ったでしょ」

「ーーそっか」

歩夢くんの表情が緩む。

「……初恋なんて小さい頃で、忘れちゃったよ、私も。顔も名前も……あ、でも」

「うん」

「すごく頼りがいがある男の子だったなあ……覚えてるのは、それだけ」

「……ふーん」

海祝くんに問われて思い出したのは、その男の子に手を引かれて走った、朧気な甘い記憶。追憶の中の彼は、顔もぼんやりとかすみがかっているし、名前だって思い出せない。

何故か歩夢くんは少し不機嫌そうにコップの水を飲み干した。海祝くんはニヤつきながら、そんな歩夢くんを眺める。

すると富美子さんが、虚空に視線を漂わせながら、記憶を探るような素振りでこう言った。

「それにしても、歩夢の初恋の子、可愛い子だったわよねー。何ちゃんだったかしら? 私も忘れちゃったわ」

「ーーだから、俺も覚えてないよ。もういいってば」

富美子さんにうざそうな顔をする歩夢くん。「あら、そうー?」と、富美子さんはもうちょっとその話をしたそうだったけれど、近くを通りかかった後援会の関係者に話しかけられ、そちらに笑顔で対応をし出した。

ーースノーボードに真摯に取り組み、普段も落ち着いていてクールな歩夢くんが、小さい頃に起こした彼らしくもない大事件。

非常に興味をひかれた私だったけれど、歩夢くんがこれ以上この話題を引き伸ばされるのが嫌そうだったので、名残惜しくも諦める。

ーー歩夢くんの初恋の女の子、か。一体どんな子だったのだろう。


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泰人

Author:泰人
昔いろいろ夢書いてました。

久しぶりに書いてます。

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