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3/9 コロラド州 ベイルリゾート コテージ No.1

 

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歩夢side

「きゃああああああ!」

ーーどうしても左側の壁でのバックサイドコーク1260が決まらなくて、俺はみんなを先に会場から先にコテージへと返し、1人粘りに粘って練習をした。

しかしどうしても着地が乱れてしまう。次第に疲労が溜まってきて余計に精彩に欠くようになってしまい、俺は諦めて練習を切り上げた。

ショーンは欠場しているから1440の連続技は必要ないが、左側の壁でのバックサイドコークを決めなければ、優勝はないだろう。

明日は必ず決めなくては。恐怖を超えて、絶対に決める。俺にはがついている。彼女が見守っていてくれれば、大丈夫だ。

ーーそんな風に思いながら、1人みんなの待つコテージへと戻ってきた俺。そして中に入ろうとした時に。

隣のコテージ……つまり、樹里がいるはずのコテージの中から、けたたましい悲鳴が聞こえてきたのだ。

ーーなんだ?

何かあったのだろうか。樹里とはなるべく関わらずにいようと思ったけれど、もしかしたらそんなことを言っている暇はないかもしれない。なにか危険な目に遭っているのなら、一刻を争う。

気づいたら俺は踵を返して、樹里のコテージへと全速力で向かっていた。そしてドアの取っ手に手をかけると、施錠されておらず開いたので、中に入る。

「樹里! どうした?」

大きめの声で呼びかけると、コテージの隅で泣きそうな顔をしていた樹里が俺に飛びついてきた。緊急事態なので、何も考えずに俺はそれを受け入れる。

「あ、歩夢!」

「どうした?」

「キ、キッチンの方から変な音が……! 泥棒かもっ!」

「マジで……?」

切迫した雰囲気の樹里からは、嘘をついている様子は見受けられない。ーー長い付き合いだから、樹里が作り笑いをしたり無理をしていたりすると、俺には見破ることのできる能力がある。

「ーーここで待ってて」

俺は樹里から離れると、そっとキッチンへと忍び足で向かう。キッチンはカウンタータイプで、今俺がいる地点からは、キッチンの様子のすべてが見えない。しゃがんだり座ったりしている誰かがいる可能性は十分にあった。

俺はちょうど抱えていたボードを盾にするような形で、キッチンを恐る恐るのぞき込んだ。ーーすると、そこには。

「にゃーん」

黒い猫が、樹里が買ったらしいパンの袋に顔を突っ込んで、おいしそうに食事をしていた。

屈強な強盗がいる場合など、最悪のケースも想定してた俺は、安堵ともに拍子抜ける。

「ーー樹里」

「え!?」

「猫がいるだけ。大丈夫」

「えええ!?」

樹里が俺の横にやってきて、猫に目を向ける。猫は俺達の姿を認めると、パンを1つくわえて素早い動作で開けっ放しの扉から出ていってしまった。

「な、なんだあ〜……」

ただの猫、ということがわかり、脱力したらしい樹里はその場に座り込む。

その様子がおかしくて、俺は笑ってしまう。

「よかったー……」

「ほんと、強盗とかじゃなくてよかった」

「ごめんね、歩夢」

「ーーまったく、樹里はほんとにしょうがないね」

言ったあとに、俺ははっとして浮かべていた笑みを強ばらせる。

ーー樹里はほんとにしょうがないね。

この言葉は、昔よく俺が言っていたもの。

遠征に行くという俺に泣きついたり、試合や合宿の予定が詰まっていてしばらく会えないと告げた時にすがりついたりする樹里に。 そしてこの言葉を言ったあとに、俺は樹里の頭を撫でたり、抱きしめたり……キスをしたり。そうすることで樹里を落ち着かさせるという、1種のルーティンが出来上がっていた。

同じことを思い出したらしい樹里は、いつの間にか立ち上がっていて、その大きく深い漆黒の瞳で俺を見つめていた。

ーーヤバいと思った。反射的に。

「ーーじゃあ俺帰るわ」

俺は逃げるように樹里から顔を逸らし、急いでこのコテージから出ようとする。ーーしかし。

「……行かないで。行かせない」

背中に当たる柔らかい感触とともに聞こえたのは、樹里が絞り出した低い声。樹里が立ち去ろうとする俺の背中に、強く抱きついてきたのだ。

「ーー樹里。離せ」

俺は低く、できるだけ冷たく言い放つ。しかし樹里は俺に抱きつく腕の力をさらに強めた。

仕方ない。俺はそんな樹里から力ずくで逃れるため、身をよじらせようとした。ーーしかし。

「ねえ、ちゃんは歩夢のこと好きじゃないよ」

背後から聞こえてきた思いがけない言葉に、俺は動かそうとした身体を止める。

「あの子は歩夢の写真が撮りたいから一緒にいるだけ。歩夢を選手としてかっこいいと思っているだけ。スタッフだから歩夢に優しくしてるだけ。ーー歩夢を男として見てないよ」

俺が微動だもせずに自分に抱きつかれているのをいいことに、樹里はさらに続ける。

「いくら歩夢が好きでも意味無いよ。ーーきっと歩夢が気持ちを伝えたら、ちゃんは気まずくなって歩夢から離れていくよ」

俺は樹里に抱きつかれたまま、首だけを動かし、樹里の瞳に視線を重ねた。樹里が一瞬腕の力を緩めたので、俺は樹里と向かい合う。そんな俺に樹里は正面から抱きつき直し、俺を真っ直ぐと見つめる。

「私は絶対に歩夢から離れない。歩夢に何をされても、何を言われても。ーー私は歩夢の為ならなんでもする」

柔らかくしなやかな身体を俺にくっつけながら言う。 そして俺の目と鼻の先には、吸い込まれそうな魅力的な双眸に、柔らかそうなほんのりと高く染まった唇。ーー柔らかそう、ではない。実際に俺はその柔らかさを知っているではないか。

ーーなんでもする、と言っている。滅多にお目にかかれないほどの、傾国の美少女が。俺がどんなことをしても、何を言ったとしても。

もう俺たちは子供ではない。男が女に「なんでもする」という意味は、つまりそういうことだ。樹里の少し妖しく魅惑的に光る瞳も、そう言っている。

「ーーほんとに」

「え?」

「ほんとに何でもしてくれんの」

低い声で、眼前で俺は樹里を強く見つめて尋ねる。すると樹里は口角を上げて、妖艶に微笑んだ。


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泰人

Author:泰人
昔いろいろ夢書いてました。

久しぶりに書いてます。

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