3/8 コロラド州 ベイルリゾート ベイルビレッジ No.3
- 2018/06/19
- 10:53
Your name
俺は間を置かずに、樹里に強い視線をぶつけて、腹の奥から声を出して、言う。
樹里がビクッと身を震わせた。大きな瞳が潤んでいく。しかし、涙を流すことは堪えているようだった。
「ーー私のことは? 私のことは、好きだった?」
ーー好きだった?
つまりそれは過去のこと。今の俺が樹里に心を向けていないことは、すでに彼女もわかっているのだ。
だが、俺と樹里が恋人同士だった時。恐らく今の俺がに向ける顔と、過去に樹里が向けられていた顔があまりにも違っていて。
樹里は、昔の思い出にさえもすがれなくなっている。
「ーー好きだったよ」
本当だ。樹里が激しく追いかけてくるから、少し困ることはあったけれど、それも可愛く思えていたし、樹里を大切にしたいという気持ちは強く持っていた。
ーーだけど。
「でも、を好きな気持ちとはーー違う」
「どう違うの」
樹里が声を詰まらせながら尋ねる。
「ーーのことで常に頭がいっぱいなんだ。が笑うだけで俺は浮き足立つんだ。そんな気持ち、初めてで」
「……そんな」
信じられないという面持ちになる樹里。
「……スノーボードにしか興味のなかった、歩夢が? ねえ、嘘でしょ?」
「ーー嘘じゃない」
「女の子をスタッフに雇うなんて、珍しいなとは思ったの。でも、それはあの子がスタッフとして有能だからでしょ? だってそういうの、全然興味なかったじゃない。だからちゃんを好きなんて……嘘でしょ?」
樹里が、まるで「そうであってくれ」と、願うように、藁にも縋るように、必死に俺に尋ねる。
ーーだけど。
「ーー樹里」
俺は今にも崩れ落ちそうな樹里を強く見据えたまま、容赦なくこう告げた。
「もうじゃなきゃダメなんだ。ーー他の子なんて、考えられない。がいない世界なんて、耐えられない。そんなところまで、来てる。俺は」
明瞭な声で言う。まるで引導を渡しているかのような気持ちになり、罪悪感で支配されそうになる。
だけど正直に言わなきゃない。嘘をつく方が、期待を持たせる方が、残酷だ。
「そんな……」
掠れた声でそう呟き、呆然としたような表情をした後、樹里は俯いた。樹里はしばらくそのまま立ち尽くしていたけれど、俺にはどうすることも、何も言うこともできない。
ーーすると。
「歩夢くーん、遅くなってごめんね。レジ混んでてさー。あれ、樹里ちゃん?」
購入したらしいコーヒーを手に持ったが、場の雰囲気にそぐわない脳天気な声を上げながら、店内から戻ってきた。
「ど、どうしたの……?」
しかし俯いて何も言わない樹里に、すぐに異変を察したのか、は不安げな面持ちをした。
すると樹里は顔を上げる。泣いているのかと想像していたけれど、意外にそんなことはなくて。瞳は充血していたが、涙はこぼれていなかった。
だが、樹里は生気を失ったかような、能面のような無表情で。俺の心がズキっと痛む。
「じゅ、樹里ちゃん……?」
樹里を心配そうに眺める。すると樹里はその機械的な顔をに向けた。いつものきらきらした樹里との落差に驚いたらしいは、びくりと身を震わせた。
「ーーちゃん、ごめん」
「え……?」
「今ちゃんと話すと、私酷いこと言っちゃう。ーーだからまたね」
心ここにあらず、と言った様子で樹里はに告げると、そのまま俺たちに背を向けて、ふらりと歩いていってしまった。
雪の積もったこの街をゆっくり歩む樹里の背中は、儚くて今にも消え入りそうで、そのまま白い雪へと同化してしまいそうにも思えた。
「一体どうしたの、樹里ちゃん……」
俺と樹里との先程の会話を知らないは、遠ざかる樹里の姿を見ながら、心底不安そうに俺に尋ねる。
「ーーごめん」
そう言った俺に、が目を向ける。
「え?」
「今は、聞かないで」
から視線を外し、俺が低い声でそう言うと、は口を噤む。そしてそれ以上は、何も聞いてこなかった。
いただけると感激です→